西部戦線の英軍重砲
ベルギーの村の被害
廃墟を活用した通信壕
上 西部戦線の英軍重砲
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下 廃墟を活用した通信壕
(『欧州大戦写真帖』より)
 

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第一次世界大戦


A Review on World War I from Kaizen Aspect

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第一次世界大戦の
戦史 (リデル・ハート論)

航行中の英艦隊
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第一次世界大戦の戦史 (リデル・ハート論)

本ウェブサイトでは、戦史については、とくにリデル・ハートの著書に大きく頼りましたが、リデル・ハートは、戦史家として高く評価されている一方、本国のイギリスでは批判もあるようです。

こうした、リデル・ハートへの評価に関するものを、参考として以下に挙げておきます。


ブライアン・ボンド (川村康之 訳・石津朋之 解説)
『イギリスと第一次世界大戦 − 歴史論争をめぐる考察』
芙蓉書房出版 2006
<原著 Brian Bond, The Uniquiet Western Front: Britain's Role in Literature and History, 2002>

原著の著者は英国軍事史学会会長、訳者は防衛大学校教授、解説者は防衛庁防衛研究所の研究官で、本書は、「戦略研究学会翻訳叢書」の第1冊です。原著のタイトルを直訳すれば、『西部戦線異状あり − 文献と歴史に見るイギリスの役割』となります。

石津朋之の付論(解説)「1914年の『時代精神』」は価値が高い

訳書は、ブライアン・ボンドの原著に、石津朋之の二つの論文、「ブライアン・ボンドと『西部戦線異状あり』」、および「1914年の『時代精神』」が解説として付されています。

この訳書の、第一次世界大戦の研究書としての最大の価値は、ブライアン・ボンドによる本書の本文よりも、むしろ、本書に付された石津朋之の論文 「1914年の『時代精神』」にあるように思われます。この論文では、第一次世界大戦に関するまだ邦訳されていない研究が多数紹介されています。

著者ブライアン・ボンドは、イギリス参戦の意義を疑う議論とリデル・ハートを批判

一方、ブライアン・ボンドによる本文の方は、第一次世界大戦そのものを理解する、という目的には、明らかに不適切と思われますが、第一次世界大戦について、既に一定以上の知識を持っている人が、「第一次世界大戦をめぐるイギリス国内での論争では、何が論点となっているか」を知るという目的であれば、それなりの読み物だと思います。

この著者の議論は、リデル・ハートに対する強い批判にもなっていますので、ここでご紹介したいと思います。

原著者ブライアン・ボンドの論点を整理すると、以下となるように思われます。

  • 1960年代以降、第一次世界大戦でのイギリスの役割の肯定的な解釈を、ほとんどの軍事史家は提供できず、イギリス参戦の意義を疑う議論も生じていた。

  • しかし、第一次世界大戦はイギリスにとって、ドイツがヨーロッパ大陸を支配するのを阻止するために必要で、かつ戦後処理その戦争目的をほとんど達成して成功した戦争であった。

  • 指揮官や参謀の人選に「失敗」があったのは確か。しかし、1914年の小規模・経験不充分・旧式装備のイギリス遠征軍は、不利や災難を克服し、1917〜18年の戦争の最後の段階で高い効率性を持った優れた軍隊に成長した。「学習曲線」は、1917年後半から急上昇し、敵が対応できないすぐれた戦争手段を生み出した。

著者の論点のうち、第一次世界大戦へのイギリスの参戦が、必要かつ成功であった、という評価には、筆者も賛成です。ベルギーへのドイツ軍の侵攻に対し、軍事力での応戦以外の手段は、事態解決に有効な手段とはならなかったでしょう。イギリスの参戦は、状況への適切な対応策であったと評価できます。本ウェブサイトで確認してきました通り、イギリスは直接の軍事行動だけでなく、連合国各国の戦費も支えるという役割も果たしました。そして、最終的な結果も成功に終わりました。

著者の論点の問題点は、遠征軍ヘイグ司令官への評価

著者のもう一つの論点、イギリス遠征軍が、「ロバ」(=無能な将軍)に率いられた「ライオン」(=勇敢な兵士)であったのかどうかについて、著者は1915年以降イギリス軍の総司令官となったダグラス・ヘイグにきわめて肯定的で、ヘイグはロバではなかったと言いたいようです。しかも、この論点に関して、著者は、ヘイグが「ロバ」評価をされるようになった原因者はリデル・ハートである、と言いたいようなのです。

本ウェブサイトでも確認した通り、確かにリデル・ハートは、ヘイグが司令官であるイギリス遠征軍が、第3次イープル戦まで、すなわち1917年10月末までは、カイゼンが乏しいにもかかわらず攻勢を続けて膨大な死傷者を出し続けたことに、非常に批判的でした。

ヘイグへの低評価をリデル・ハートの責任とする著者の主張は、無理筋

しかし、リデル・ハート自身がヘイグをロバだと言ったわけではありません。また、ロバ呼ばわりされた原因は、リデル・ハートにあるのではなく、ヘイグ自身のカイゼンの乏しさにあった、というのが公正な評価ではないでしょうか。

さらに、「1914年から1918年の戦争全般を通じて、イギリスの独自の、最終的に勝利をもたらした戦争努力に対しては、ほとんど関心を示さないか、評価しようとしない」というコメントは、リデル・ハートには全く当てはまりません。

実際、リデル・ハートはその著書で、大戦中にウィンストン・チャーチルやロイド・ジョージ、あるいは陸海軍の若い将校など、遠征軍司令部以外が行ったイギリスの努力は高く評価しています。その努力の累積の結果として、1917年に入ると、海上では護送船団方式によるUボート対策が成功、陸上ではカンブレー戦での戦車の大量投入が成功するなど、成果を現に上げて局面を逆転させたことも明確に記述されています。ヘイグの遠征軍も、ドイツ軍ほどは効果的ではなかったにせよ、フランス軍を上回るカイゼン成果をあげていたことを、はっきり記述しています。さらに、イギリスの第一次世界大戦への参戦そのものも明確に評価する記述を行っています。以上は、このウェブサイトで確認してきた通りです。

60年代以降の研究者が、第一次世界大戦でのイギリスの役割に否定的となっていて、その主張の根拠の一部を、リデル・ハートの著作から、リデル・ハート自身の見解とは異なる形で引き出していた時、その責任をリデル・ハートに負わせるのは、全くの筋違いでしょう。

著者が支持する学習曲線論も、下手な弁解にしか聞こえず、不成功

著者のレトリックにも大きな問題があります。イギリス軍による実質的な反撃が開始されたカンブレー戦は、1917年も11月後半になってからのことなので、「戦争の最後の段階」と言えるのは「1917年11月後半からの1年間」と書くのが適切と思われますが、著者は「1917年後半から」と言っています。

著者の言い方では、イギリス軍司令部の作戦指導に問題があって、イギリス軍に30万人超という膨大な死傷者を出した、第3次イープル戦(パーサンダーラまたはパシャンデール、1917年11月初旬まで続けられた)までもが肯定されてしまうことになります。さらに著者は、第3次イープル戦について「流血の惨事」というだけで、ヘイグ司令部の指揮の問題点について議論を行っていません。こうした言い方は、不都合なことを目立たせないようにしている、という感があります。

また「学習曲線」論は、効果の高いカイゼンを生み出すまでに期間を要したことを弁解するために持ち出された、という印象を避けられませんが、弁解としてもあまり成功していないように思われます。30万人超の死傷者を出した第3次イープル戦は、開戦後3年以上も経過した時点でしたから、「学習曲線論」を認めるとしても、ヘイグの学習曲線は「劣等生の学習曲線」であった、という感想を持たざるを得ないからです。

イギリスには、例えば、開戦から1年経たない1915年5月には軍需省を設立して、軍需品の生産・補給のカイゼンに取り組んだロイド・ジョージの優れた学習曲線の実例があります。3年も経って学習の向上が乏しかったヘイグの劣等生ぶりが際立ってしまうのは、やむを得ないでしょう。それに対し、ロイド・ジョージを批判するのは、本末転倒です。

第一次世界大戦へのイギリスの参戦には十分な意義があり、かつ最終的に成功でもあった、ということと、途中経過ではヘイグとその司令部が「ロバ」であった、という二つのことの間には、何も矛盾はありません。ヘイグに関する著者の主張はこじつけとしか感じられず成功していない、と言えるように思われます。

イギリス内の一論争の紹介書、としては格好の読み物

著者の議論の根本は、ヘイグという軍人エリートに「消し難い汚名」が着せられていることへの怒りにあるように思われます。それが、事実判断の誤りに基づく汚名なら、著者の怒りは誠にもっともですので、著者には、ヘイグが無能ではなかったことを示す事実の提示が求められます。

ところが、著者の議論には、新たな事実の提示や定量的な分析が欠けており、他方では著者の主張の立証に不都合な事実は捨象しているように思われます。さらに「愛政府的・愛将軍的」と「愛国的」とをすりかえて、反戦も将軍批判も反愛国で有害だと決めつけているように思われることなど、全体として観念的な正邪論による議論である、という印象を免れません。

そのため、本書が学究的な「研究書」と言えるかには、疑問符をつけざるをえない、という印象を強く受けました。ただし冒頭に書いたように、第一次世界大戦をめぐるイギリス国内での論争の一論点を知る、という目的には役立つ「読み物」だと思います。


石津朋之 『リデル・ハートとリベラルな戦争観』 中央公論新社 2008

本書は、320ページほどの本文のうち、2割強の約70ページがリデル・ハートの評伝、残り約8割が、リデル・ハートの戦略思想論となっています。

ここでは、本書の内容のうち、第一次世界大戦関係の部分についてのみ、コメントしたいと思います。

分かりにくい、著者のリデル・ハートへの評価

著者は、本書で、基本的には戦略思想家としてリデル・ハートを高く評価しているものの、第一次世界大戦に限っては、リデル・ハートを強く批判している記述となっているようであり、その結果、全体としては、本書を通じての著者の論旨に分かりにくさが生じているように思われます。

著者は、上掲書の著者ブライアン・ボンドとは個人的な交流もあり、その弟子であることを公言している人ですが、本書での著者のリデル・ハートへの評価が分かりにくくなっているのは、おそらくその個人的な交流のせいではなかろうか、という気がします。

すなわち著者は、リデル・ハートへの評価のうちで、第一次世界大戦に関する部分についてだけは、上掲のブライアン・ボンドの正邪論に基づく主張にほぼ従ってしまっており、その結果として、本書を通じての著者の論旨が分かりにくくなっている、という印象を受けるのです。

リデル・ハートのカイゼン精神は適切に指摘

例えば、本書の評伝中で、著者がリデル・ハートがその『回顧録』中の、「戦争で同じ目的を達成するために必要とされる人的犠牲と物的損害を極小化するにはどうするべきか」という問題意識こそ、「間接アプローチ戦略」の原点であったと明言している、という点に着目しているのは、誠に適切なポイントだと思います。

実際、リデル・ハートの『第一次世界大戦』がカイゼン意識にあふれているのは、まさしくここで着目されている問題意識あったればこそであることがよく分かる、重要な指摘であると思います。

であるからこそ、リデル・ハートの『第一次世界大戦』は、本ウェブサイトでも確認してきた通り、1917年7〜11月上旬の第3次イープル戦を批判するとともに、同年11月後半のカンブレー戦で表れたイギリス軍のカイゼン努力の成果を高く評価し、それがイギリス軍の1918年の戦術となったことも指摘しています。

リデル・ハートの著作中のカンブレー戦以降についての記述は、あえて無視?

ところが著者は、「リデルハートの経験は、1916年のソンムの戦いの初期までに限られており、ソンムの戦いの後半、さらには、1917年や1918年の戦争の様相はまったく知らない。だが、まさにこの時期にこそ、イギリス軍はヨーロッパ大陸にて膨大な資源を投資し、連合国側の最終的な勝利に貢献した。また技術の発展とともに軍事戦略レベルでの革新的な運用概念が登場したのもこの時期であり、リデルハートは西部戦線での硬直した塹壕戦というイメージに囚われすぎていたように思われる。大量集中しすぎた大規模陸軍による攻勢の繰り返しといった一般的認識の定着、そして1917年と18年に開花した新たな戦争方法に対する過小評価などの責任の一端は、リデルハートの一連の著作に求めることが出来る」と書いています。

ブライアン・ボンドの主張と同一で、事実、すなわちリデル・ハートの著作の記述の実際には、明らかに反する評価です。上述の問題意識から、カイゼン意欲にあふれるリデルハートは、どの交戦国についてであれ、カイゼンが進んでいない局面には批判的ですが、カイゼンが表れている局面はすべて高く評価していることは、その著書の中で一貫しています。

著者のここでのリデル・ハート批判を見ますと、著者は実は、リデル・ハートの『第一次世界大戦』を全く読まずに論評しているのではないか、とまで邪推したくなってしまいますが、いくら何でも、著者ほどの優れた研究者がリデル・ハートを実は読んでいない、などということはあり得ないことなので、理解に非常に苦しむ点です。

経済封鎖の役割の軽視も、事実やルーデンドルフ自身の証言に矛盾

もう一つ付け加えますと、著者は、「リデル・ハートは、この戦争で海軍力を用いた経済封鎖が果たした役割を過度に強調しすぎている」、「結局のところ、西部戦線での戦いこそが第一次世界大戦の決着をつけた」と、やはりブライアン・ボンドと同一の主張を行っています。

これも、1918年のドイツ軍の崩壊には、現に経済封鎖による補給不足が寄与していたという実証があること(「第一次世界大戦の経過 − 1918年 A 休戦」をご参照ください)、さらには、ルーデンドルフ自身が、ドイツ軍の敗因を「背後の匕首」と見ていたこと、すなわち、国内戦線の崩壊が原因であって、西部戦線で連合国軍に軍事的に敗北したとは考えていなかったこと、とは矛盾した主張と言えるように思います。

第一次世界大戦中および休戦直後のヨーロッパを見学した水野広徳には、ドイツの敗因について、二つの論評があります。そのうち『改造』(1920年7月号)に発表された「独逸の敗因」(『水野広徳著作集』 第4巻所収)では、一 海上封鎖、二 米国の参戦、三 敵国の宣伝、という3要因を挙げ、海上封鎖はその第一としています。また、水野広徳の自伝中の「ドイツの敗因」では、大戦の経過の時系列に従って、一 ベルギーの中立侵害による英国の参戦、二 イタリアの離反、三 シュリーフェン作戦の失敗による持久戦化と経済封鎖、四 Uボート作戦の誤算と米国参戦に対する誤判を挙げ、そのうち英国を敵に回したこと〔=海上封鎖を受けたこと〕が致命的失敗、としています。両論評を通じ水野広徳も、海上封鎖がドイツの主要な敗因であったと評しています。

このような次第で、こと第一次世界大戦へのリデル・ハートの見方に対する評価については、著者はその師との個人的な交流を重んじて師を一切批判せず、あえてブライアン・ボンドの主張を受け売りしているのではないか、と推定するのですが、いかがでしょうか。

筆者は、著者の第一次世界大戦に関する論文は、すべて読む価値が高い、と考えております。が、ブライアン・ボンドの主張と軌を一にしたリデル・ハート批判についてだけは、明らかに大幅に割り引いて読むのが妥当、という気がしています。


次は、第一次世界大戦の影響・結末に関する参考図書・資料についてです。


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