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第一次世界大戦が開戦に至る経緯に進む前に、まずは、第一次世界大戦前のヨーロッパの国境について確認しておきたいと思います。
第一次世界大戦前のヨーロッパの地図は、現代のヨーロッパの地図より、ずっとシンプル − 国の数が少なかった戦争が、「なぜセルビア対オーストリアの局地戦では済まず、欧州列国間の大戦争に発展してしまったのか」、を理解するには、まず、当時のヨーロッパの国境線がどのようなものであったかを頭に入れておく必要があるように思います。当時のヨーロッパの国境線と、現代の国境線が、あまりにも違っているからです。 下に、現代の国境線を示した地図と、大戦前の国境線を示した地図を並べました。現代の地図の方は、Googleのものです。大戦前の国境線を示した地図は、『歴史群像アーカイブ 第一次世界大戦 上』から引用しています。
この二つの地図を比べてみて、すぐに気がつくことは、現代の地図にある、ポーランド、バルト3国、フィンランド、チェコ、スロヴァキア、ベラルーシ、ウクライナ、スロヴェニア、クロアチア、ボスニア=ヘルツェゴヴィナなどの多数の国が、第一次世界大戦前には存在していなかった、という点です。そのため、第一次世界大戦前の地図の国境線は、現代の地図の国境線より、ずっとシンプルです。 この点を、第一次世界大戦の開戦の経緯に照らして、もう少し考えてみましょう。
第一次世界大戦前も、バルカン半島には、小国が多数存在第一次世界大戦前の地図は、現代の地図よりもずっとシンプルだったと言っても、地域ごとに良く見てみると、現代と大きく異なる地域がある一方、現代とほとんど同じ地域もあることが分ります。 たとえば、ドイツとオーストリアの西側は、ほぼ現代と同じです。現代の地図にあるのに当時はなかった国の大部分は、ドイツ・オーストリアとロシアの間の地域の国です。 オーストリアの南、バルカン半島側を見てみると、ドイツ・オーストリアとロシアの間の地域とは異なり、すでに第一次世界大戦前から、セルビア、ルーマニア、ブルガリア、モンテネグロ、アルバニア、ギリシャといった小国が多数存在していたことが分ります。つまり、ヨーロッパの中でもバルカン半島だけは、国家間の紛争が起きやすい地域であった、ということになります。 現代では、この地域の国の数はさらに増えていて、スロヴェニア、クロアチア、ボスニア=ヘルツェゴヴィナ、マケドニアといった国が新たに生まれています。まさしく、各民族が入り乱れて住んでいる地域だと言えるようです。 第一次世界大戦前に、オーストリア・ロシアの2国は、これらバルカン半島諸国に直接国境を接していました。またイタリアは、陸上の国境はなかったものの、海を挟んだ対岸でした。それに対し、ドイツ・フランス・イギリスからは、バルカン半島まで距離がありました。 すなわち、小国林立で国家間紛争の起きやすいバルカン地域で、何か紛争が発生した場合、オーストリアとロシアの2国は、地勢上、他の列国よりもその影響を受けやすかった、と言えるように思います。皇太子暗殺事件が発生して、まずはオーストリアとセルビア間に紛争が生じたこと、そういう紛争が生じれば、ロシアも関心を持たざるを得なかったことが、この地図から明瞭です。
第一次大戦前、ドイツ・オーストリア・ロシア三国は国境を接する隣国今度は、ドイツとオーストリアの東側を見てみましょう。現代の地図では、ベルリンとモスクワの間、あるいはウィーンとモスクワの間に、多数の国々が存在しており、ドイツの東側国境線とロシアの西側国境線、オーストリアの東側国境線とロシアの西側国境線は、どちらも遠く隔たっています。 しかし、第一次世界大戦前のヨーロッパの国境線は非常にシンプルで、ドイツとロシア、オーストリアとロシアが、それぞれ直接国境を接していました。しかも、この当時のドイツ・ロシア間およびオーストリア・ロシア間の国境線は、ドイツ・フランス間の国境線よりもずっと長い国境線でした。ドイツから見れば、西部戦線より東部戦線の長さの方が圧倒的に長く、それを意識せざるを得なかった、と言えるように思います。 隣国なのですから、例えばロシアが独露国境線に軍隊を動員するなら、国境のもう片側にあるドイツが、それをきわめて重大な脅威と認識するのは当然でしょう。当時の各国間の軍事同盟関係に加えて、オーストリア・ロシア間およびドイツ・ロシア間は、長い国境を直に接する関係にあったことが、オーストリア皇太子の暗殺事件で生じたセルビア・オーストリア間の局地的紛争を世界大戦にしてしまう、重大な背景となった、と言えるように思います。
次は、大戦前のヨーロッパ列国間の同盟関係についてです。
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